映画「ムーンライト」感想〜純愛とは何か?〜

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「え,これで終わり?」

それが,見終わった直後の率直な感想です(汗)

 

本作は,2017年第89アカデミー賞で作品賞、助演男優賞など3部門を受賞。

DVDの推薦パッケージには,「今年1本だけ映画を観るなら,これ」とか「劇場を出た後には,きっと人生観が変わっている」と大そうな謳い文句があったので,正直,肩透かしをくらった気分でした(^_^;)

 

主人公は,華奢な体と繊細な心を持つ黒人少年シャロン

麻薬中毒のすさんだ母親のもと,学校ではいじめられ,心の救いとなるのは友達のケヴィンと,偶然知り合った麻薬ディーラーのフアンとその妻テレサ

 

物語は,シャロンの成長と周囲の変化を描いていきますが,キーワードと感じたのは「マイノリティ」そして「愛」。

と言っても,「マイノリティ」の理不尽さを嘆いたり怒ったりする内容ではなく,その重点は「愛」に置かれています。

 

私が「肩透かし」と感じた理由は,主人公の気持ちに感情移入できず,理解しがたかったためと思われます。

人種(黒色人種)や性的指向(同性愛)に対する差別感情は持っていないつもりですが,ラストへ向けて明らかになってくる信じがたいほどの「純粋すぎる愛」。

 

純愛。

私の苦手な言葉です(汗)

だから,感情移入できなかったのでしょうか?

 

麻薬ディーラーのフアンとその妻テレサが,赤の他人のシャロンを我が子のように慈しむのも「愛」であり,これを「純愛」とは呼ばないでしょう。

この手の「親鳥が雛鳥を慈しむような愛」「家族愛」的な愛は,すんなり理解できるのです。

 

純愛って何でしょう?

純粋な愛とは何?

純粋でない愛って何?

純粋でない愛は,愛ではないのでは?

不純な愛ってあるの?

「純愛>ふつうの愛>不純な愛」みたいな序列があるの?

 

純愛という言葉から立ち上ってくるイメージは,「自己を犠牲にして,深く,長く,一途に相手を思い続ける愛」。

おそらく,「自己を犠牲にして」という部分が,「ふつうの愛」と異なる点かもしれません。

 

「知る悲しみ」という言葉があります。

一流の絵画,彫刻,音楽,香り,料理,飲み物などなど,一度素晴らしい世界を知って感動してしまうと,それ以外の世の多くのものはつまらなく,悲しく感じてしまう。

 

純愛は,傍から見ると,自己を犠牲にして一途に思い続けるがゆえに,稀有で貴重です。

しかし,じつは,純愛における自己犠牲とは,本人にとっては周囲が想像するような強固な意志に基づくやせ我慢や苦痛ではなく,「知る悲しみ」ゆえの「切なさ」だけなのではないでしょうか?

 

純愛は「幸せ」なのでしょうか?

純愛は報いを求めない無償の愛であり,「報われれば幸せ」「報われなければ不幸せ」という単純なものではなさそうです。

おそらく幸せとは関係なく,ただただ純粋であるがゆえに美しい。

そして切ない。。。

 

純愛好きな方にオススメの映画です!

私のように純愛を解さない無粋な人間にも(笑),「純愛とは何か?」を問い掛けてくれる,興味深い1本です!!

ムーンライト(字幕版)
 

 

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