映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」

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2017年6月公開。主演、藤原竜也伊藤英明

鑑賞中,私は3回騙されました。

 

舞台は,5人絞殺事件の15年の時効が成立した7年後。

事件から22年経ってから,「私が殺人犯です」と,男(藤原達也)が名乗り出て,事件の全貌を記した手記を出版します。

 

時効が成立しているので,もはや法が裁くことはできない。警察が捕まえることもできない。

男はそれをいいことに,マスコミを集めた講演会や出版記念握手会を開いたり,自分が殺害した被害者の遺族に謝りに行ったり,好き放題やります。

 

当時,犯人を逮捕し損ねて顔に傷を負い,同僚を爆殺された刑事(伊藤英明)も,犯人に挑発されて殴りかかりますが,それ以上のことはできません。

 

5人も絞殺した凶悪犯とは思えない,悪びれない颯爽とした振る舞いに,一部の人々は有名人を崇めるように熱狂します。

あるいは,殺人犯が白昼堂々,本を出版してお金を稼ぐことを非難し,マスコミ報道やSNSも過熱していきます。

法が裁けないのであればマスコミが裁こうと,有名キャスター(仲村トオル)が犯人へのインタビューを試みます。

 

ネタバレになるのでここでは伏せますが,しかしながら犯人の「真の狙い」は別のところにあった,というストーリーです。

 

キーワードのひとつが、公訴時効。

以前は、15年経てば公訴時効が成立し,それ以上追及されることはありませんでした。一種の「逃げ得」が存在しました。

 

それでは被害者遺族は報われず、逃げ得を許すわけにはいかないということで,殺人罪や強盗殺人罪などの死刑に相当する罪の時効は,15年から25年に延長されました(2004年)。

この法改正のタイミングが,物語のターニングポイントのひとつとなります。

 

蛇足ですが、公訴時効の延長は心情的によく理解できますが,一方で,警察の負担増加も気になります。

時効が延長されるということは,捜査態勢を長年に渡って捜査を継続すること。

毎日のように事件は発生し,未解決事件が負債のように増えていくのは警察の負担となり,全ての事件に十分手が回るのだろうか,と懸念されます。

 

さらなるキーワードのひとつが,PTSD(心的外傷後ストレス障害)。

犯罪系の作品を鑑賞する時,私が最も気になるのは真犯人や犯行トリックではなく,「犯行の動機」です。なぜ,そのような重大な罪を犯したのか?

 

ふつうの人間であれば、よほど切実で差し迫った動機がなければ,殺人などの凶悪な犯行に及ぶはずがありません。

「なぜ,犯行に至ったのか?」自身の感覚に照らして納得のいくリアルな動機が示されないと,「そんな動機で犯行に及ばないでしょう!」と興醒めしてしまいます。

 

本作では、PTSDが犯行の動機と説明されます。

被害者がその心の痛みを軽減するため,加害者と化すことがあるのでしょうか?加害者に対する復讐ならまだわかります。

しかし、無関係の第三者に対して、自分がされたことと同じことをするなど、許されることでは決してありません。

いじめられっ子が、無関係の子に対していじめっ子になるようなものでしょうか。

 

心の闇。

昭和50年代生まれの私からすると、スマートな平成の世では、おどろおどろしい「心の闇」はあまり聞かなくなってきた「昭和の遺物」のようにも思えます。

しかし、多かれ少なかれ、誰しも抱えているものではないでしょうか。

 

絶望的な苦難悲劇に直面した時、人はどう感じ、考え、行動するか。 

時代が移ろうと、人間の本質は変わらず、「心の闇」は不変のテーマ。

あるいは、文学、哲学、宗教の領域でしょうか。

 

まずは純粋に楽しめるサスペンス作品なので、あまり難しいことは考えず、一度ご賞味あれ^^