父旅立つ〜死去から葬式まで〜

7月6日(土),父が永眠しました。

享年71歳。最終的な死因は敗血症。

心臓手術後、集中治療室に入って52日。

 

家族が夜中に呼び出されたり,もう限界かという危機を何度も乗り越え,人工透析ができなくなれば通常5日程度しかもたないところ10日も持ちこたえ,医師や看護師も驚いていました。

苦しそうな様子はなく,安らかな表情でした。

【目次】

【最期の瞬間は間に合わず】

7月6日(土),朝6時10分に病院から電話があり,6時50分に病院に駆けつけたときは人工呼吸器は動いていましたが,既に心臓は停止している状態でした。

前日夜7時に見舞った時は,血圧が低く脈拍も速いながら安定しており,それから12時間も経たないうちに亡くなるとは思いませんでした。

いわゆる「死相」の予感はありませんでした。

 

ただ,今にして思えば,漠然とした予感はありました。

ここ2ヶ月間近く,私は仕事後に見舞いに行き,遅くに帰宅する日々が続いていました。

疲労がたまってきており,その日はまっすぐ帰宅しようかと考えていました。

2週間前に尿路結石のため夜中に救急車で病院へ運ばれたこともあり,翌日見舞いに行けばいいかなと思ったのです。

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しかし,夕方になると,やはり行った方がよい気がしてきて,病院へ向かいました。

病院では,いつものように手足をマッサージしたり,その日の出来事を話しかけたりした後に,エルビス・プレスリーの「Can't help falling in love(好きにならずにいられない)」をスマホで聞かせてあげました。

 

父が「葬式の時に流してくれ」と話していた曲です。

生前に流すのはどうかとも思いましたが,「それくらい好きな曲なら,生きている間にもきっと聴きたいだろう」と2回,耳元で流しました。 

父は,じっと目を開けたまま,聞き入っているように見えました。

 

そして,人工呼吸器をつけ鎮静剤が効いており,全身どこも動かせないはずなのに,首と頭を少し持ち上げるような仕草を見せたのです。

もしかしたら,「わかった。そろそろか!」と旅立ちを促してしまったのかもしれません。

 そして,生前の父と対面したのは,この時の私が最後となりました。

 

翌朝,家族が駆けつけるのも待たず,ひとりでさっさと旅立ったのは,「見切り千両!」「オタオタするな!」が口癖だった父らしいといえるかもしれません。

「平日の日中では,仕事をしている子どもたちの迷惑になる」

「夜遅い時間でも疲れるだろう」

「危篤状態から息を引き取るまで時間がかかっても大変だろう」

そんな,父らしい気づかいもあったような気がします。

【病理解剖】

午前7時3分,医師立ち会いのもと,死亡診断が確定。

病気の原因はなんだったのか,今後の医療に役立たせるため病理解剖をしてよいかと打診があり,「父ならきっと快諾するだろう」と了承しました。

葬儀会社に連絡を取り,解剖終了後,遺体を引き取りに来てもらうことに。

 

解剖は9時開始,10時30分終了。

解剖結果から推察される現時点の病因・死因として,心臓手術→肺炎→血行障害→腸管の壁が薄くなる→腸内細菌が血中に流出→菌血症,敗血症→死亡,との説明を受けました。

2,3ヶ月後,細胞レベルの検査結果に基づく説明を聞くことができるそうです。

【病院から葬儀会社へ】

解剖後,遺体を綺麗に整えて安置室へ。

11時30分,安置室であらためて対面したとき,急に涙があふれて嗚咽が止まらなくなりました。

死の直後はまだぬくもりがあり,実感が湧かなかったのですが,冷たく青ざめた父を見るに及び,「死」という冷厳な事実を目の前に突きつけられたのです。

お世話になった医師,看護師の皆さんに泣きながらお礼を言い,母と妹は父を乗せた霊柩車に乗り,私はひとり車で葬儀会社へ向かいました。

【通夜】

生前,父は「身近な家族だけで静かに見送ること」と話しており,手紙も残していました。

その遺志に従い,私の母,妹,祖母など父から見て2親等以内の親族11人による家族葬を執り行うことにしました。

 

葬儀会社の方は,段取りよく説明を行いながら,人情味とユーモアをたたえた方で,ふっと救われる気分になりました。

 

「棺は紙製の高いものもありますが,装飾が多いと内部が狭くなります。もっともリーズナブルな木製のものが,シンプルでゆったりしてよいのではないでしょうか?」

「かつて神道では,死はけがれという考えでしたが,そんなことはありません!愛する肉親が祟ることなどあると思いますか?したがって,お清めの塩なども必要ありません!」

「アットホームな雰囲気の家族葬ですし,葬儀後の飾り場所に困るような値段も高い遺影の準備は不要です!家族と一緒に写っているスナップ写真を賑やかにたくさん飾ってあげましょう!」

「形式でなく,故人をお送りする心こそ大切です。お子さんの喪服などなくても,気にすることはありません。赤でもピンクでもいいんです!」

といった調子です。

 

また,納棺師の方に整えていただき,父は見違えるように立派に綺麗になりました。

祖母と母は「長谷川一夫みたいに立派!」と言いましたが,祖母と母以外は「誰それ?」とわかりません(笑)

スマホでググってようやく,「ああ,たしかに似ているかも!」と,次第に落ち着きを取り戻し,和んできました。

 

担架から棺へ家族みんなで遺体を移し,隣接する和室で夕食を取ることに。

夕食後,「死者をひとり置いて帰るのはよくない。一晩,誰か付き添ったほうがいい」と,母と妹たちは遺体に付き添って葬儀会社に泊まることにし,私や子ども,祖母たちはいったん帰宅して翌日の葬儀に臨むことにしました。

 

通夜というと仰々しく堅苦しいイメージがありましたが,拍子抜けするほど自然体でなごやかな通夜となりました。

特に,5歳から11歳まで4人の子供たち(父から見た孫たち)が明るい雰囲気を提供してくれ,しめっぽいことが嫌いな父もきっと喜んでいたと思います。

【葬式】

翌日12時,葬儀会社に集合し,棺にお花やお気に入りの服を入れてお別れをしました。

もちろん,父の遺言どおり,プレスリーの「Can't help falling in love」をかけながら。

12時半,葬儀会社を出発し,13時,斎場(火葬場)到着。

最後のお別れをして火葬炉へ送り,1時間半ほど待つ間に斎場内で昼食を取りました。

 

14時半,骨となった父と対面すると,また涙があふれて止まらなくなりました。

つい1時間半前まで存在した父の体が,骨になってしまった。

つい40時間前まで息をして,体温を持ち,触ることのできた父の体が,骨と化してしまった。

家族は皆もう涙も枯れたのか,お骨を前にしても嘆き悲しむ様子はあまりありませんでしたが,ひとり私は今さらながら,厳粛な事実を前に愕然としたのです。

 

そして,全身のお骨を集めて骨壷に入れると,人間ひとりの骨はけっこうな量とずっしりとした重さになることに驚きました。

海が大好きだった父は「お骨の一部は海に帰してほしい」と語っていたので,叶えてあげるつもりです。

 

午後1時〜3時までの2時間で,火葬の一切が終了。

これまで葬式というと,多くの関係者が弔問する厳かで堅苦しいイメージしかありませんでした。

しかし,ごく身近な家族のみで送るアットホームで素朴な家族葬は気持ちがこもって良いものだ,私自身もこのような形で見送ってほしい,と思いました。

 

ちなみに,通夜から葬式までの諸費用は税込約30万円。

葬儀費用の相場はよくわかりませんが,全国平均で100万,200万円くらいかかるような話も聞きます。

私としては十分納得,満足のいく内容だったので決して高くはない,と感じています。

菊葬会館という会社で,先代の社長さんが父と大学時代の同級生だった縁があるそうです。

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【帰宅】

午後4時,父のお骨とともに帰宅しました。

父が帰宅するのは,じつに2ヶ月ぶり。

「まさか,このような姿で帰宅することになるとは」と,再び涙が溢れて止まりません。

 

しかし,間違いなく一番つらいのは,父と45年間連れ添ってきた母(68)です。

ぽっかりあいた心の穴は容易に埋まらないかもしれませんが,この先嘆き悲しむだけの人生を送ることなど,父が望んでいるはずはありません。

 

残された者,生きている者は,死ぬときに「楽しかった!いい人生だった!」と満足して旅立てるよう,悔いのない日々を生きること。

それこそが父の願いであり,そのような人生を歩んでいきたいと思います。

 

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<Photo by Kikutti>