映画「沈黙-サイレンス-」( マーティン・スコセッシ監督 × 遠藤周作原作)感想

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「 監督・マーティン・スコセッシ × 原作・遠藤周作

監督のマーティン・スコセッシは,1960年代から「タクシードライバー」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」等,数々の傑作を輩出してきた巨匠。

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原作者の遠藤周作は,生涯を通じてキリスト教と日本人をテーマに取り上げ続け,その中でも17世紀日本の史実に基づいて創作した名作中の名作「沈黙」。

 

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時空を越えた異質な2人の化学反応が,おもしろくないわけがない!

2018年に鑑賞した11本目の映画で,初の5つ星評価です!

 

舞台は,江戸時代初期の長崎。

師匠として敬慕する司祭が棄教したとの噂を聞いた若きポルトガル人司祭が,真偽を確かめるため,日本でのキリスト教信仰の火を絶やさぬため来日し,過酷なキリシタン弾圧の中で神の「沈黙」の意味を問う物語。

 

キリシタンに対しては,雲仙地獄の熱湯を穴の空いたひしゃくで徐々に体に浴びせたり,息絶えるまで何日間も荒海に磔(はりつけ)にしたり,すぐ絶息しないよう耳の後ろに穴を空けて逆さ吊りにしたり,苦しみを長引かせる凄惨な拷問が行われます。

 

司祭は,自問自答します。

 

「なぜ,神はかくも過酷な試練を我々に課すのか?」

「いや,試練は受け入れるとして,なぜ神は何の救いや励ましの言葉を発してくれないのか?」

「神は我々の苦しみを見ているのか?」

「なぜ,神は沈黙しているのか?」

 

「司祭である自分が棄教すれば,信徒は許されると言う」

「自分が苦しめられ,殺されるのはまだよい」

「自分の代わりに,何人もの信徒が拷問を受け,苦しみ殺されてゆくのは耐え難い」

 

棄教した司祭は言います。

 

「もし,神がこの場にいたらどうするか?」

「信仰のため,信徒に喜んで死ねと言うだろうか?」

「真に慈愛に満ちた神ならば,信徒を苦しみから救うため棄教するのではないか?」

 

「日本人にキリスト教は馴染まない!」

「古来,日本人は太陽などの自然神を崇めており,絶対神を理解しがたい!」

「日本は特殊な沼地のようなもので,キリスト教が根付くことはない!」

 

司祭はどのような決断を下すのか?

信仰とは,自分の命より他者の命より大切なものなのか?

神の沈黙が真に意味するところは何なのか?

人間の心は,束縛からどれだけ自由でいられるのか?

 

原作の世界観を忠実に再現しつつそれを凌駕しうる、人間の魂の本質に迫る傑作です!

 

 

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